「この言語に救われました」

最近どことなく鬱々とした気分が晴れないのは

ずっと洋楽ばかり聴いていたからでは、

と久しぶりにthe pillows(世界一好きな日本のバンド)

を聴きながら乱暴すぎる考えに至りました。

 

あんまり「辛いときにこの歌詞に救われました」

という類の美談が好きではありません。

かといって音楽が自分にとってそんなに軽いものか

といえば決してそういうわけではなくて、

私の場合「音楽を聴く」ことが楽しくて好きだから、

仮に辛いことがあったとしてもその行為によって気が紛れる、

という意味で「救われた」ということが多いです。

 

ピロウズを好きになったばかりの頃

私も「あの時ピロウズのこの歌詞に救われました」的な美談がほしくて、

ちょっと部活が大変だった時期に無理やり歌詞を当てはめることで

「救われた」と思い込もうとしたこともあったけど、

あまりの自分の白々しさに冷めました。

せっかく人生で一番頑張った素敵な思い出なのに

その出来事を振り返るとその馬鹿な記憶も一緒に思い出されるし、

せっかくお気に入りのアルバムに収録されているお気に入りの曲なのに

それを聴くとその馬鹿な記憶を思い出してしまうし、完全に黒歴史です。

 

酔った勢いで無駄話を挟んでしまった。

 

とても雑にまとめると、聴いていて楽しければそれが救いになるので

洋楽であろうと邦楽であろうと自分には関係ないことだし

なんでもいいやと思ってました。

 

それで最近はなんとなく洋楽を聴くことの方が多くて、

それと同時に就活ではお祈りメールが徐々に届きはじめたり、

それを全部学歴のせいにしてみたり、

エントリーシート3回連続で書き損じたり、

全然お金なかったり、でもバイトめんどくさかったり、

晴れてほしい時に限って雨が降ったり、などなど、

全部しょうもないけど地味に確実に精神をつついてくる出来事が

続いてなんとなく気が滅入っていて。

 

常に好きな音楽を聴いて過ごしてはいるのですが、

「音楽聴いて楽しいから元気」なんて単純にはいかんなぁと、

知らない間に終わってたアルバムを、とりあえずもう一度最初から

流したりしながら思ったりしていたのでした。

 

そして先ほどApple Musicで好きな洋楽を聴きながらTwitterを眺めていて、

タイムラインに流れてきたピロウズApple Musicへのリンクを

間違えて押したらそのピロウズの曲がいきなり再生されて、

それを聴いた途端に、その馴染みの良さというか、

自分にぴったりはまってくる感じにちょっとだけびっくりしました。

それははじめてピロウズを聴いたときの感覚と似ていたのですが、

とにかくそれまで素通りしていってしまってた音とは明らかに違っていて、

聴いただけで情景が浮かぶ、意味が分かる、私の思考と同じ言葉で

綴られた歌がまっすぐ私の中に入ってきました。

 

憂鬱が全部払拭されたわけではないけど、

ちょっとだけモヤモヤしてたのが晴れて、

これを「歌詞に救われる」と呼ぶのかなぁと

漠然と思いました。

 

歌詞が今の私の心境を物語っていましたとか、共感しましたとか、

そういうことは全然なかったけど、

耳に入ってくる言葉に対する安心感がすさまじくて

とりあえず今はこの感覚を離したくなくて

「はじめてのthe pillows」なるものを聴いています。

 

いかんせん今ピロウズしか聴いてないので、

「自分の思考言語で歌ってる曲の安心感はすごい」という話なのか

「やっぱりピロウズは私にとって特別でした」という話なのか

どっちかちょっと分からないんですけど。

 

一応書き始めたときは前者の結論のつもりでした。

今まで意識していなかったけど

邦楽を聴くときに耳に入ってくる言葉の意味は、

たとえ今の自分にとって強い意味がなくても

知らず知らずのうちに自分の中に留まっていて、

知らない間に自分の糧になっているのかもしれない。

日本語は私にとって意識しなくても意味が分かる言葉だから

それに気付いていないけど、自覚がなかっただけで

私も歌詞に救われていたのかもしれない。

 

また、もしかしたらその言葉の意味には共感しなくても、

「自分と同じ言葉で語られている」ということで共感を覚えて、

それが安心感に繋がっているのかもしれない。

 

みたいなことを考えていたのですが。

 

後者にしておいた方が

「私もあの時the pillowsに救われました」

って後々言えるような話になりそうだから

今回はそういうことにしておこうかな。