どこにだっていける

自分がいる場所とその土地の脈絡って大事なんだな

みたいなのをつくづく感じている。

 

京都で生まれ育って、就職で名古屋に引っ越してきて、

それがコロナで出勤する必要がなくなり、

リモートワークをするには狭すぎる部屋を抜け出すために

愛知県の田舎のほうに引っ越してきたわけだけど。

 

引っ越した時は、週1の出社っていうのがあったので、

まぁ関西に引っ越すわけにもいかないなということで

とりあえず愛知県内で引っ越しをしたけど、

そのあと出社の必要性もなくなり、

1か月以上オフィスに行かないっていうこともざらになって。

 

仕事があるから愛知県にきたけど、

もはや仕事のつながりもなくなってしまったので、

今自分がここに住んでいる意味って本当になくて、

なんでこんな何の脈絡もない土地に住んでるんだ?

と思うことが、まれによくある。

 

楽しいことがあるならまだしも、

ライブもなくイベントもなく

楽しいスポットがあるわけでもなく…

(ここは言い訳せず探さないとと

 思っているところではあるけど。

 愛知県にきた1年半前からずっと…)

 

関西に行って家に帰る日曜日の夜とか、

SNSで関西の楽しそうな諸々を見るたびに

私なんでここにいるんだろう…と思ったりなど。

 

とはいえ、引っ越しを決めた日だったり

引っ越しをした当初のことを思い返すと、

こんな、なんの脈絡もない土地に思いつきで

引っ越せちゃう自由な身軽さが好きで、

これくらい気ままに行動する自分が好きで、

なんだかわくわくして、

家のまわりの田んぼ道を歩きながら

可笑しくてひとりで笑ったりしていたな

ということを思い出す。

 

もし何か仕事変えようってなったら

やりたい仕事がある土地に引っ越してもいいし。

この家の契約更新のタイミングで、

また適当な好きなところに行ってもいいわけだし。

もしかしたら誰かについていって

また新しい土地に住むことになるのかもしれないし。

 

この先の展望は見えないけど、

でもこんな縁もゆかりもない土地だからこそ、

こんな適当なノリでもない限り

一生来なかったんだろうし、まぁいいのかな。

 

そういう適当なノリが好きだしな。

 

引っ越しの朝、天井を眺める

あと数日で実家を出る、名古屋に引っ越すんだ、

となったとき、毎日目が覚めるたびに、

「ああまだこの天井だ」となんだかホッとしていた。

 

白い天井、視界の左端には丸いシーリングライト

右端には茶色いタンス。

小学生くらいの頃から、ずっと見てきた天井。

 

 

引っ越してはじめて新しい部屋で眠りにつくとき、

何も音がしない空間がさみしかったから、

真っ白い壁に間接照明のライトをつけて、

ちょっとだけ可愛くなった壁を見てひとりで笑った。

 

やわらかいオレンジのライトに照らされた天井は、

見慣れた天井よりも少し低くて、

視界の左端には窓があって

丸いシーリングライトは右側に見えた。

知らない空間、知らない天井の中で、

実家からもってきた布団だけは知っている空間。

 

目が覚めても、やっぱり目の前に広がっていたのは

昨日の夜見た知らない天井で、

これから私はここで暮らしていくんだなと、

この先、毎日私が見上げるのはこの知らない天井なんだな

と思いながら、前日の夜さんざん泣いたはずだったのに

またひとりで泣いた。

 

 

もう少し広い家を求めて引っ越すことを決めたとき

また目が覚めるたびに、

「ああまだこの天井だ」と思っていた。

 

見慣れた高さの天井で、

視界の左端は、お気に入りのカーテンの花柄。

少し視線を上にやると、お気に入りのバンドのポスター。

視界の右端は、丸いシーリングライト

 

およそ1年間過ごしたこの部屋で、

いつのまにか「知っているもの」になっていた天井。

 

引っ越し当日の朝、はじめてここに来た日は、

さみしくてさみしくてずっと泣いてたなぁと

懐かしく思いながら、私のはじめての一人暮らしを

支えてくれたこの小さな部屋に、さよならを言った。

 

好きなものをたくさん詰め込んだこの部屋が

大好きだった。

 

 

引っ越してはじめて新しい部屋で眠りにつくとき。

前の部屋よりも少しだけ高くなった天井を見ていた。

 

視界の右端には窓があって、とりあえずつけた

お気に入りの花柄のカーテンの高さが全然足りなくて、

カーテンの先がひらひらしていた。

丸いシーリングライトは、視界の左端に。

 

さらに左を向くと、向こう側にはリビングが見えて、

なんて広いお部屋なんだとひとりでにんまりした。

上を見るとお気に入りのポスターがかけてあって

この部屋でもよろしくと思ったりした。

 

よろしく、新しい天井。

多分いつのまにかこの天井にも慣れて、

そして天井のことなんて何も考えず、

ただ目が覚める毎日がはじまる。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと自分が好きになった(2020年上半期のふりかえり)

 2020年上半期があっというまに過ぎ去っていった…

社会人2年目がスタートして、新しい組織になったり、

入社して以来の目標だった社内の賞に手が届いたり、

ずっと行きたかった名古屋の観光スポットに遊びに行けたり、

エッセイを書き始めたり(久しぶりに自分で書く文章!)、

人生でほぼはじめて漫画にハマったり、

テレワークに伴う引っ越し計画がスタートしたりと、

楽しい半年間でした。

 

3月以降はコロナでライブが消え、フェスが消え、

いじけまくりでしたが、その分仕事だったり自分の好きなことに

ちゃんと向き合うことができたのでよかったです。

そうそう自分こんなこと好きだったな、とか。

文章を書いたり、電子書籍を導入して本をいろいろ読んだり、

青空文庫で昔の文学もちょっと読んでみたりとか。

 

いつも休日は「あぁみんな外で楽しそうにしてるのに私ときたら…」

となることも多かったので(自分は家の中でちゃんと好きなように休日を

過ごしているのに、なぜか妙な劣等感と罪悪感に襲われる)、

みんな家で過ごしていた今年の春夏はなんか精神的にいつもより穏やかに

胸を張って(?)ちゃんと自分の好きなことをすることができました。

あんまり大きい声じゃ言えないことのような気がするけど。

 

でもさすがに、去年のサマソニ以来ライブ行けてないのはつらいです。

 

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上半期の毎日はそのとき聴いていた音楽を聴けば思い浮かびます。

今年の上半期ベストです。

 

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Peach Pit - You and Your Friends

The Big Moon - Walking Like We Do

Beach Bunny - Honeymoon

Car Seat Headrest - Making a Door Less Open(Digital edition)

Hazel English - Wake UP!

Gengahr - Sanctuary

Ecosmith - Lonely Generation

Bombay Bicycle Club - Everything Else Has Gone Wrong

Kakkmaddafakka - Ontas?

Mystery Jets - A Billion Heartbeats

Blossoms - Foolish Loving Space

Sorry - 925

Momma - Two of Me

Yumi Zouma - Truth or Consequences

Happyness - Floatr

Grouplove - Healer

COIN - Dreamland

Rolling Blackouts Coastal Fever – Sideways to New Italy

mxmtoon - dawn

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本当はSoccer Mommy、Circa Wave、Georgia

Fake Laugh、Pishも入れたかったのですが泣く泣く絞りました。

 

ひとつ前の記事にも書きましたが、こんな絞らないと

いけないくらい、たくさん音楽を聴けたのは本当に幸せです。

当たり前だと思ってたけど、ちょっと環境が変わっただけで

すぐに崩れてしまうくらいのものなんだなって去年の下半期に

実感したので、新しい音楽をたくさん聴いて楽しいと思える

今の状態はとても嬉しくて、ホッとします。

 

上半期、まずはThe Big MoonとHazel English、Grouplove、

COIN、kakkmaddafakka、mxmtoonが嬉しかった。

これまでのアルバムもめちゃくちゃよくて、アップされる新曲も

全部よくて、それがアルバムとしてまとまってやってきたときの

高まりは、いつまでたっても虜になります。

 

あとPeach PitとHappynessの新譜もびっくりして嬉しかったです。

好きなアーティストの中で「定期的に活動状況が入ってくる人たち」

と「そうでない人たち」がいるのですが、この2組は

(あくまで私にとって)後者に当てはまる人たちでした。

だからある日先行シングルが出てきて、目をこすって二度見して、

聴いてみて、あぁぁこの人たちだ!ってなるのがすごく楽しかった。

 

あと、Blossoms、Bombay Bicycle Club、Mystery Jets

Carseat Headrest、Rolling Blackouts C.F、Yumi Zouma

みたいに、いいんだろうけど聴けてなかった、とか

1曲だけ好きな曲はあるけど他の曲ぜんぜん聴いてなかった、

みたいなアーティストに今回の新譜がきっかけで

めちゃくちゃハマったりしたのも自分的に好きな感覚でした。

 

ほか、Beach BunnyやGengahr、Sorry、Momma、Ecosmithは

今回のアルバムをきっかけに知った人たち。

全部めちゃくちゃ好きで、新しい発見にうずうずしました。

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家にいた時間が長すぎてあんまり思い出のBGMになってる

という印象はこれまでと比べて薄いのですが、

何も考えずぼんやりしてたとき、

仕事ちゃんとしなきゃって気合い入れるとき、

お部屋で踊りたいとき、とりあえず酔いたいとき、

最後にこの曲だけ聴いて寝たい…!っていうのを10回くらい

繰り返した時、など、私のぬるいおうち時間を彩る存在として

鳴っていた音たちです。私の好きな音です。

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余談:新譜じゃないけど、踊りたい欲が発散されないまま

爆発していたせいか、Confidence Manを異常なくらいリピートした

上半期でもありました。

 

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下半期は、来月新しいおうちに引っ越すところから始まります。

広くて素敵な部屋ですが、ど田舎です。

虫大嫌いなのに、なんでこの部屋選んだろうってちょっと後悔してます。

ちょっとの虫にはびびらないようなひとまわり強い私になれるでしょうか。

 

 

 

好きな音を忘れてはいけない

2019年ベストアルバムを出せなかったくらい、

去年の下半期は仕事に追われていて

音楽を全然聞けていなくて、

そんな自分に絶望していたのですが、

今2020年上半期ベストアルバムを考えるにあたり

今年の1月~6月を振り返っていたら、

好きなアルバムがたくさんあふれ出てきて、

心からホッとしました。

 

 

入社当初は「新しいことばかりの毎日で、

音楽まで新しいの聴いていられない」という理由から

馴染みのあるアーティストしか聴けていなかったり。

仕事を覚えて本格的に稼働しだした下半期は

仕事が毎日とてつもなく重たくて、

もう音楽を聴く気力がそもそも残っていなかったり。

 

「新譜きいた?」という言葉もきらいになったし、

毎日のように発掘されている若手アーティストの情報も、

それが話題になっているTwitterのタイムラインもきらいでした。

 

でも一番きらいだったのは、八つ当たりのように

好きなものを追いかけて楽しそうな人をきらいになっている自分、

その情報を追いかけたら楽しいとわかっているのに

「だってもう疲れたもん」と追いかけるのをやめる無気力な自分。

 

 

今年に入って、仕事にも、仕事の量にも慣れてきました。

相変わらず脳の容量は大きくないので

毎週毎週新しいアルバムを聴く、というのは無理ですが、

これはジャケットかわいいから聴いてみよう、と思えたり、

Apple Musicでたまたま出てきたアーティストとか

だれかがいいって言っていたアーティストとかを聴いてみたりと、

新しいものを発掘する楽しさを再び味わえるようになってきました。

 

これまで知らなかったものを知るときはとてもワクワクします。

これにワクワクできなくなってしまったら、

新しいものをめんどくさく思うようになってしまったら、

自分は自分がきらいになって、どんどん自分のきらいな自分に

転げ落ちてしまうんだなと思いました。

 

 

「みなし残業時間60時間は、本当に多いよ」

「本当にこの会社でやっていけるの?」

と、大学の就職課の人が脅してくるのに「たぶん、まぁ」

とあいまいに返事をしながらぼんやり考えていたのは、

「きっと社会人になったら仕事に忙殺されて、

これまで好きだった音楽のこととかも忘れちゃって、

ふとした瞬間に"ああ学生時代こんなアーティスト好きだったな"とか

"月1回は絶対ライブ行ってたな"とか、

"レコード屋さんデート楽しかったな"みたいなことを、

完全な過去のこととして思い出したりするんだろうな」ということ。

 

この先どうなるかはわからないけど、

とりあえずはまだ大丈夫そうです。

 

 

 

 

 

 

一瞬、ジョーに裏切られた気持ちになった。

『ストーリーオブライフ 私の若草物語

を観てきました。

いろんなところに共感して、しんどかった…

過去と現在の対比がとても美しくて切なかった。

役者さん、ストーリー、構成、演出、衣装、景色、

もう全部とてもよかった。。

 

あととても些細なところなのですが

ジョーがずっと書き続けるために

両利きを会得してるのが

めちゃくちゃかっこいいです。

 

--以下、 観ていない人への配慮皆無の内容です--

 

 

ジョーがベア先生を雨の中追いかけて、

最後結婚するところを観て

単刀直入に言うと裏切られた気分になりました。

 

原作の『若草物語』にある内容だから、

そんなこと言われましてもって感じ

だとは思うんだけど。。

 

あれだけ結婚だけが女の幸せじゃない

と叫んでいたジョー。

あのシーンで「結婚が幸せ」と考えている

メグとエイミーに背中を押されて、

結婚という幸せに向けて雨の中走るジョー。

 

とても幸せそうで、楽しそうで、

素敵なシーンだなとは思うのですが、

ずっとジョーに共感しながら

物語を追っていた身としては

「なんだ、結局あなたも結婚するんじゃないの」

という気分になりました。

 

結婚だけが幸せじゃないと思っているのに

どうしようもなく孤独、とジョーが言っていたとき

本当に胸が痛くて、でもジョーはとても強い人だから

結婚以外の形で彼女らしい幸せを掴んでくれるんだろうと

思っていたので、あのシーンは急にジョーが私を置いて

違うところへ走り去ってしまったような気がして、

そこだけがずっと違和感として残っていました。

 

 

この違和感は、3つの要素によって

自分の中で緩和されて、

最終的には救われた気分になりました。

 

ひとつめは、ジョーが、出版社の編集長に

「ヒロインを結婚させないと売れない」

と言われ、反論しつつも最終的には

「わかった、お金のためにヒロインを結婚させる」

と言うシーン。

 

ふたつめは、実際の『若草物語』の著者である

ルイーザ・メイ・オルコットは

生涯独身のままで過ごした女性であるということ。

 

みっつめは、監督のグレタ・カーヴィグ

によって語られた

「オルコットは、本当はジョーを結婚させたくなくて、

出版社の言いなりになったことでジョーを結婚させた。

そして、そのオルコットの本当の思いを尊重して、

今回の映画にはジョーが出版社の編集長と言い合う

シーンを入れた」という事実。

 

 

この映画は、

若草物語』を映画化したお話、という要素と、

その作者オルコットの半生をジョーを通して描いた

『「若草物語」ができるまで』のお話、

という要素のふたつの側面があると思っています。

鑑賞中は結局どっちなのか分からないままで、

だからジョーの結婚にも大パニックでしたが(笑)

あとから考えたら、

 

・編集者に対して『お金のために結婚させる』

 と言ったジョーはオルコットを描いた姿

・ベア先生と結婚したジョーは、

 『若草物語』の中のジョー

 

と整理することができました。

 

シアーシャ・ローナンは「ジョー役」だけど、

実はたまにジョーの姿を飛び越して

「オルコット役」になっている。

たまに、ジョーを通してオルコットの姿が見える。

 

若草物語』のジョーがオルコット自身を

投影した登場人物である、という事実を

とても丁寧に映画の構成に組み込んでいるところと、

役を飛び越しちゃってるところが

おてんばなジョーらしくて、とても好きです。

 

 

同時に思ったのが、『若草物語』の読者の方々は

ジョーに裏切られた気分にはならなかったのだろうか、

ということ。原作をちゃんと読んでいないので、

もしかしたら小説ではもう少し丁寧に結婚までの過程を

描いているのかもしれないけど…。

 

でももし、そんな読者の方々がいるのだとすれば

その方たちにとっても救いとなる映画なのかな

と勝手に思ったりもしました。

 

 

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あとは関係のない余談

(ほかに好きだったところについて言いたい)

 

*矛盾した感情がリアル

結婚だけが幸せじゃないとわかってるのに孤独、

自立したいのに少女時代が終わってほしくない、

など、いろんな矛盾した感情がジョーの中には

渦巻いていて、その感情のすべてが

とてもリアルで、わかりすぎて痛かったです。

 

実際の感情なんてこんなふうに矛盾だらけ。

こういう矛盾した感情とか行動とかがあるからこそ

よりこの映画は観た人にとって

共感することでホッとできたり、

自分を投影して切なくなったりと、

心の中に深く入りこむ作品になり得るのかな

と思いました。

 

 

*邦題について

『Little Women』という原題が大好きです。

 

実際の四姉妹のお父さんが彼女たちに

敬意を示してそう呼んでた

というエピソードも素敵だし、

まだ「子供」の年齢なのにそれぞれ芯があって、

それぞれ自立した美しい女性であるところが

まさしく「Little Women」という感じがするし、

そしてオルコットがその単語をタイトルに選んだ

という事実が、姉妹同士がお互いのことを尊重しあって

いたことを表しているようで、とても愛しい。

響きも凛としていてとても好き。

 

 

なので、この映画の邦題を見たとき

何してくれてるんだと怒り心頭でした。笑

 

でも、出版社でのジョーの姿だったり、

製本の様子を愛おしそうに見ているジョーを

見ていると、たしかにこの映画は

ジョーそしてオルコットを描いた物語だし、

この愛しすぎる家族の物語は

ジョーそしてオルコット自身のためにある物語なんだ

ということをひしひしと感じたので、

鑑賞後に改めて邦題を思うと、

ちょっとダサいけど、

いいタイトルだなと思いました。

 

 

*過去と現在の対比が切なすぎる。

冒頭でも書いたけどこの構成が本当に胸を打つ。。

特にベスがいなくなってしまったところ。

ほかにも、にぎやかだった家とガランとした家。

みんなで身を寄せ合っていた日々と、

各々がひとりで過ごす日々。

あんなに賑やかで輝いていた過去、

もう二度と戻れない愛しい毎日。

 

近頃、過去には本当に戻れないことを

痛感するばかりでつらいです。

 

 

*誰よりも家族を愛していたベスに、

 家族の物語をささげてるところ。

 

これがオルコット自身のエピソードなのか

映画オリジナルのエピソードなのかは

分からないのですが、姉妹の中で一番家族を

大切にしていたベスのために書き続けた

というのがとても素敵でした。

エピソードのひとつひとつが温かさに

溢れているのは、ジョーのベスに対する

愛の深さゆえのような気がします。

 

 

シアーシャ・ローナンがまるで代弁者で

 びっくりしている

 

レディ・バード』のときは、

主人公が親に向かって「これまで私を育てるのに

かかった費用数えてみてよ」みたいなことを

言うところで号泣したのですが、

今回の「結婚だけが幸せじゃないと

分かってるのに、どうしようもなく孤独」

という言葉といい、

シアーシャ・ローナンは人のちょっとひねくれた

感情を代弁するおそろしい人だなと思っています。

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総じて本当にいい映画だった。。

挫折した『若草物語』を読んで

もう一回観に行きたい。

 

学生時代を思い出す

大学時代の日記とかレポートとか読み返してたら

我ながら何やってんだって感じだったから

しみじみとメモ。

 

 

社会学のレポ―トで書いた「自己形成」についてのレポート。

前半はおとなしく自分の考えを述べていたんだけど

後半になって「ここで韓国の戯曲を取り上げる」なんて

言い出して、いきなりどうしたんだと思ったら

前半の自分の考えをその戯曲の解釈に落とし込んで

ツラツラ語っていた。ちょっと引いたけど、

意外と筋は通ってて我ながら感心した。

 

その当時、ちょうどその戯曲が原作の舞台を

観に行って(『鱈々』という藤原竜也主演の舞台)、

まだまだその余韻に浸っていたときに

書いたレポートだと思われ。

 

それ以外にも、なにかとこじつけのように

レポートの中に自分の好きなものをねじこんで

楽しい書き物にする、っていうのを学生時代

何度もやっていたような気がする。

ピロウズの歌詞でチャレンジしたこともあったけど

それはさすがにうまくいかなかったことも覚えてる。

評価はマチマチだったけど。

 

 

あと梶井基次郎の『檸檬』をテーマにして

京都の町を歩く「『檸檬』探訪記」もレポートとして

出したような気がする。

本当はフィールドワークみたいなことをして

いろいろ調べなきゃいけなかったのに

私のはただのお散歩記だったから、

これはさすがに成績ダメダメだった気がするな。。

でも楽しかった。

 

 

ほかにもクローゼットから過去の日記を

ひっぱりだして、記憶の中のいろんなところに行った。

吹奏楽の舞台。

大学生の時にいったニューヨーク。

サマソニ。あんなライブやこんなライブ。

 

ライブの余韻に浸りたいというだけで

平然と授業をさぼっていた毎日。

 

いいなーー大学生。

 

 

自粛GW、どうしたものかと思ったけど

冬服を洗って片づけたり、本を読んだり、

エッセイ書いてみたり、思い出に浸ったり、

お酒を飲みながら映画を観たり、

なんだかんだやることはある。

 

何にも追われない心地のよい時間。

ゆったりした空気の中で聴く音楽は気持ちがいい。

 

 

 

 

「FEEL PRESS」

お題「思い出のWebサービス」

 

「FEEL PRESS」という小さなSNSが好きでした。

 

今の時代のSNS、出来事を記録するばかりで、

そこで抱いた感情は記録されていないんじゃないか、

だから感情を記録できるSNSを、というコンセプトで

作られたSNSアプリ。

 

ハッピーは赤、悲しい気持ちは水色、という風に色が全部で9色あって、

投稿のテーマ(感情)ごとに色を選んで、その感情になるに至った

出来事を投稿する、というもの。

 

下手したらユーザーの全員が知り合い、というくらいの

小さなコミュニティでした。

(なんせ、フォローという機能やタイムラインみたいなものも

あったけど、フォローしている人の投稿だけを見るタイムライン

とは別に、登録者全員の投稿が流れてくるタイムラインもあったくらい。

それでも、流れ方はとてもゆっくりしていました)

 

そんなゆったりしたタイムラインに流れている、

みんなの感情をぼんやり眺めることが好きでした。

たとえるならいろんな形の雲が流れていく空を

見ているようなそんな感じ。

 

たまたま迷い込んだ道から見えた線路がきれいだったとか、

学校行く途中で見つけたチューリップが可愛かったとか、

制服のネクタイ綺麗に結べて嬉しかったとか。

 

今のSNSの情報の速さではあっというまに埋もれて

見えなくなりそうなことを一つ一つ大事にできる

空気感がとてもとても好きでした。

 

小さなコミュニティの中で、

都内在住の人たちは実際に会うこともしていたみたいで、

少しずついざこざも増えてきて、

段々とアプリの操作性が落ちてきて、

みんなざわついている中ついには全くアプリが

開かなくなってしまって、

それっきり、解散になってしまったのですが。

 

今でもたまに思い出します。