2019年上半期のふりかえり

自分の日記です。

 

19卒として就職した身としては、2019年上半期、

あっというまでどったばたでした。

 

1月から3月までは、卒論も終わって春休みだ~という感じで、

毎週木曜日の日付が変わる瞬間を楽しみにしていたものですが、

4月入ってからは日付変わった瞬間には寝てないと次の日起きれないし

(本当にリリース日土曜日にしてほしい)

誰も喋ってないのになんかざわついている電車の中で

自分にとっての新しい音を聴く気にもなれず、

かつ毎日新しいことだらけの中では音楽くらい馴染みのものじゃないと

不安になっちゃって、なかなか新譜を追いかけることができておりません。

 

が、そんな中でもとりあえず作った上半期ベスト。

思ってたよりはたくさん出てきてびっくりしました。

 

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あとはCatfish and the bottlemenとかGirlpoolとかDeerhuterとか、

Billie EilishとかJon Fratelliとか、、あげればキリがないですが、

とにかくあんまり音楽聴いてないと思ってたけど

意外とあったことに驚きました。           

 

音楽を振り返ったついでにどんな半年間だったか、

というところも振り返ってみようかと思います。

 

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1月

人生のベストに入れるであろうアルバムのレコードを買って

幸せそうな様子がTwitterからは見えました。

今回のベストでも第1位にしたAlex Leheyの

1st、『I Like You Like A Brother』と

Sufjan Stevensの『Carrie & Lowell』です。

人生最後のお年玉で買いました。

 

・Deerhunter『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』

一番印象に残っているのはインフルエンザです。

Deerhunterも来日していた4ADのライブ行こうかずっと迷ってて、

結局チケットはとっていなかったんですが、

その日にインフルエンザになりました。

 

あとインフルになった4日目くらいには死ぬほど楽しみにしていた

superorganismの来日公演もあったことも悲しかった。

高熱にもだえながら布団の中で号泣しました。

 

インフル5日目には、卒論の口頭試問。

たしかそれについての記事を書いたけど、

いろんな自分が昇華されたいい日だったな。

 

あと1月最終日に、内定先からのメールで春から名古屋に住むことが

決定しました。覚悟していた東京じゃなくてよかったとホッとしつつ、

でも関西を離れることに不安を覚えつつ、というかなんで名古屋なん、

とよくわからんくて爆笑しながらちょっとだけ泣いた記憶があります。

 

 

2月

あっ、ごきげんを装ってるけどこのツイートしたとき

死ぬほど機嫌悪かったわとTwitter遡って思いました。

 

・Broods『Don't feed the pop monster』

大学の友達と夜河原町で待ち合わせをしたとき、

Broodsの新譜を聴いていました。

金曜だか土曜だかの夜で人がたくさんいて、

夜なのになんかキラキラしてて、

Broodsを聴きながらその中を歩いていると

なんだか夢の中にいるような

フワフワした気分になったことを覚えています。

 

 

3月

22歳になりましたが、特に何も変わったことはなく。

IKEAで遊んだのが面白かったです。

 

卒業式も可愛い袴を着れて嬉しかった。

袴を着て、延滞しまくった図書館の本を返しに行きました。

周りの視線が痛かったです。

そういう人いっぱいいるんじゃないかなと勝手に思っていたけど、

ひとりもいませんでした。

 

あと名古屋にコートニーバーネットを観に行きました。

ついでに会社があるビルどんな感じなんだろうって覗きに行って

そこでトイレを借りました。きれいなところでよかったです。

 

そのほかは、毎日狂ったようにカーテンとか棚とかカーペットとか

検索していたことしか覚えていません。

引っ越しがもうすぐという実感が全然なくて、検索だけしながらも

買うのを引き延ばしてたらベッドの搬入とかめちゃくちゃ遅れて

大変でした。

 

・Wallows『Nothing Happens』

3月22日に引っ越しました。

スーツケースに掃除機を入れて、鈍行で名古屋に向かいました。

新譜のそれを聴きながら京都での思い出をぼやぼやと思い出して

ちょっとだけ泣いたりしていました。

 

何もない部屋で掃除機をかけて、バルサン焚いて、

拭き掃除して、夜に届いた最初の家具である棚を組み立てて、

まだ布団がなかったから夜の11時くらいにネカフェに移動して、、

という日でした。

スピーカーもないからiphoneから直接流すしかなくて、

うっすい音がガランとした何もない空間を強調するみたいで

死ぬかと思いました。

 

次の日は引っ越し屋さんが荷物を入れてくれて、

馴染みのあるものがたくさんやってきたので孤独が少し和らぎました。

午後には京都から家族も来てくれて、荷解きを手伝ってくれたり

ニトリでいろいろ揃えに行ったりしました。

夜みんなが帰るとき自分でも引くくらい泣いて、またひとりになった部屋では

嗚咽がひどすぎてゲロ吐きました。自分でも引いた。

 

それでも毎日役所行ったり買い物行ったり、ベッドや棚を組み立てたり、、

自分が動かないと動かない世界に戸惑いつつせっせと毎日活動していました。

 

3月31日には大阪に行って、行きつけのビール屋さんのみなさんと

お花見をして、その足で入社式に行くべく東京に向かったのでした。

 

 

4月

入社式の朝に聴いていたのはAlex Laheyの『I Like You Like A Brother』。

最終面接の前もこれを聴いていた。上を向いて歩くためにはこれが必要でした。

 

その日は新元号発表の日で、入社式が終わった時間が

ちょうどそれくらいだったのではじめましての同期の人たちと

ずっとTwitterの更新に奮闘していました。

 

研修で2週間東京にいて、レコード屋行ったり行きたかったごはん屋さん行ったり

大学の東京に住み始めた友達と遊んだり、普通に楽しかったです。

あと新宿のTower VinylでKacey Masgravesのレコード買えたのも嬉しかった。

 

そのあとは名古屋拠点に配属されて、せっかく配属されたのに

ずっと東京の講師と遠隔でビデオ通話をつないだ集合研修ばかりで

ちょっとやさぐれたりしていました。

 

10連休のGWにはアラバキに行ったり、盛岡で石川啄木の息吹を感じたり、

静岡に行ったりと楽しい休暇を謳歌しました。

特に盛岡ひとり旅では自分がまだ大学生であるような気分になって、

社会人になってもこういうのんびりした、たぶん他の人に言っても

首をかしげられるような目的の、自分のためだけの旅をしたいもんだなと

思いました。

 

5月

 

突如として、大好きなシンセポップバンド、Vinyl Theatreが実質の解散を

発表してワナワナしました。GWの最中のことです。悲しかった。

 

あとインフルエンザにもう一度かかりました。

お母さんに電話したらいろんなものをべたべた触るからでしょ

って3歳児扱いされたのが不本意だったし、なぜそんなことを言われたのか

未だにわかりません。

 

急に会社を休むことになって、ちょっと体調がマシになってからは

ずっとNetflixで『夫のちんぽが入らない』を観たりしていました。

オール電化で昼間は電気代が高いので、極力電気は使わないように、

部屋の電気もつけず過ごしていたので、身を潜めている気分でした。

 

・Alex Lahey『The Best Of Luck Club』

 待望の新譜リリースがインフルエンザで会社を休んでいた時期と

重なって、これをゆっくり聴けたのはあんまり大きい声では言えないけど

嬉しかったです。

 

日付変わる瞬間は熱が上がっていて寝ていたのですが、

ふと目が覚めた朝の4時くらい、空が明るくなってきているのを

カーテンのすきまから眺めながら、ベッドの上でぼんやりこれを聴きました。

世間から切り離された空間で、ただただ知らない音に耳を澄ませている

不思議な時間がとっても幸せだったことを覚えています。

 

 

6月

会社の先輩と山登りをしたのが楽しかったです。

岩をぐいぐい登ったり、足踏み外したら死ぬのでは、、という

ところを崖沿いに渡ったり、すごく面白かった。

 

あとkakkmaddafakkaのライブが死ぬほど楽しかった。

あんな踊りに踊ったの久しぶりでした。

 

OJT研修がはじまって、段々帰る時間が遅くなってきて

疲れがたまってきった感じはしていましたが

でも毎日何かしら新しくできることが増えて、

毎日がちがう新しい日で、面白かったです。

 

入社前やりたかったことができていて、

とても素敵な毎日だなと思っています。

 

下半期も元気に生きようと思います。 

 

音は電車に揺られ

自分の人生のワンシーンでその音楽が鳴ってたという理由で

その音楽が自分の色にほんのり染まる感覚、

空気感が自分が見ていた景色と重なっていく感覚が好きです。

 

みたいなことを、

生まれ育った京都を離れて名古屋に向かう鈍行列車の中で

ぼんやりと思いました。

 

その時聴いていたのはWallowsの『Nothings Happens』。

単に楽しみにしていた新譜を聴いていただけなので

そこに特別な意味なんてなかったのですが、

これから新しい毎日が始まる、という春の日に

ぴったりな気がしました。

 

『なんにも起こらない』というタイトルと、

連続していく曲のつながり。

 

普段だったら曲のつながりが楽しくて最高くらいのことしか

思わなかっただろうけど、ぼんやり地元を離れて新しい土地に行く

電車に揺られながらそれを聴いていると、

これからの毎日そんな大事件なんて起こらないだろうし、

気を抜いたら知らない間に通り過ぎていってしまうくらい

平凡な日々なんだろうけど、その一つ一つを上手につかまえて

丁寧に暮らしていきたいなぁなんてことを思いました。

 

これからの自分の生活を、なんとなくこのアルバムの

タイトルと作られ方から思い描いて、勝手に特別な価値を

見出したりしていました。

 

多分この先も何回も聴くアルバムだと思うけど、

そのたびに今日の車窓から見た景色と、

京都でいろんな人と交わした会話を反芻しながら

ひとり思い出し笑いしてたことなんかを

思い出すんだろうなと思います。

 

人生の中でちょっとだけ特別な雰囲気だった日に聴いた

Wallowsの『Nothing Happens』、

単なる好きとはちょっとちがう特別なアルバムに

なるような気がしました。

 

救われた1日

口頭試問も終わり、学生として

やらなきゃいけないことが本当に終わりました。

 

想定質問とか考えようとしたものの全然思いつかず、

かといって自分の卒論に自信があったかといえば

全くもってそのようなことはなく、

自分の意識が全然及んでないところから

おっそろしい質問が飛んでくるのだろうな、、と

ただただビクビクしていました。

 

結果としては特にそうでもなくてホッとしました。

もちろん指摘は色々あったし、

ちょっと軽率に書きすぎたなと反省した部分もあったけど、

そんな冷や汗かくような恐ろしいものでもなくてよかったです。

 

先生の顔が穏やかで別人かなと思いました。

菩薩みたいな顔で呼ばれたから逆に殺されるのかと思ったけど

普通にそのまま菩薩のままでした。

 

 

就活のとき、出版社の最終面接で課題で書いた文章について

ボロクソに言われて以来、自分が書いた文章って

それっぽく見えるだけで実際は中身すっからかんなんだろうな…

と思い込むようになってしまって、

それを卒論書くときもずっと引きずっていました。

 

書いてる途中も書いた後も、卒論チックにはなってるけど

どうせすっからかんの文章なんだろうなぁ…と、

自分は頭悪いからなんかいけてるように思ってしまうけど

先生が読んだら一瞬で駄文認定するんだろうな…みたいなことを

考えて、いつまでたっても不安で、大変でした。

 

頭が悪いせいで自分が出来ていないことにすら

気付かないって一番みっともなくて恐ろしいことだと

思っていて、かつ自分がそれに陥っている可能性を

どうにも否定できなかったので

わりと本気で留年を心配していました。

 

そんな感じだったので、

今日の試問で文章もよく書けてるね

みたいなことを言っていただけて、

なんだかホッとしました。

 

落ちた最終面接のことなんか気にしなければいいんだけど、

なんか気にしちゃってて、ずっとトラウマのように

なっていたのですが、それがようやくほどけたような気がしています。

 

 

あと卒論指導の段階では私のやりたいこと、言いたいことが

うまいこと主査の先生に伝わっていなかったらしく

論文を読んでようやく分かったと言ってもらえました。

と同時に、面白かったとも言ってもらえてよかったです。

 

自分の喋りが下手くそすぎることについては考え物ですが、

あんまり先生のお気に召していないんだろうなと

なんとなくずっと思っていたので、

とりあえず論文で伝わってよかったなと思いました。

自分の一番好きなオリジナルの考え方を面白いと

言ってもらえるのは嬉しいもんですね。

 

と同時に、もっとちゃんと伝えようとすればよかったな

と反省しました。

あんまりお気に召していない感じがするのは

言語学の中の扱ってる分野的に仕方ないのかなと

自分があきらめの姿勢になっていたので、

そういう確証もないところで勝手にあきらめなければ

もうちょっと面白がってくれていたんじゃないかと、

そしたらもうちょっと積極的に指導を仰げたんじゃないかと

今更思ったりしています。

 

コミュニケーションがどうとかいう学科の4回生でいながら

頭が悪すぎる反省ですが。

 

 

そんなわけで、就活期のトラウマを引きずっていたり

考えたことを上手に昇華できなかったりした未練たらたらの卒論、

自分ではクソみたいな出来だと思っていたし、

学生生活の集大成がこれかと思うと情けなくて泣けてくるような

感じだったんですが、今日の口頭試問でようやく、

あながち悪くないかなと思えるようになりました。

 

なんだかいろんな自分が救われた日になりました。

おつかれさま。

 

 

2018年の振り返り。

2017年が楽しいことしかなかったお気楽な年だったとしたら、

2018年はてんわやんわした情緒不安定な年だったなぁという印象です。

でも色んな分野に関して世界が広がった愉快な年でした。

就活と卒論があるからロクな年にならないだろうと斜めに構えていたことを

思えば、いい意味で予想と違ったなという感じです。

 

まずは月並みに就活について。

6月上旬に最終面接でこっぴどく落とされてから志望業界を変えて、

説明会とか面接で会う人たちの人柄もガラッと変わって、

それまで他の就活生と喋ったりとか全然なかったのに、

帰り道にお喋りしてそのままお昼ごはん食べに行ったり、

一人とは後日約束してごはん行ったりもして、

単純にその時間が楽しかったです。

あの会社が第一志望と言っていた人は叶ったんだろうか、とか

気ままだったあの人は結局就活続けてたんかなぁとか、

顔も覚えていない人たちのことを今でもぼんやり思い出します。

 

 

 

卒論も面白かった。

最初に興味をもって突っ走りかけた話は頓挫したので

仕方なく手堅い方法で進めていたのですが、

やってみたら意外とそれも面白くて、

というか自分はこんなこともできたんだなという

新発見にもなってよかったです。

 

ちまちました地味な作業はできないタイプだと

思っていたのですがやればできるもんだなと思いました。

 

言葉の使用例を集める中で、

言葉ってこんなに自由に使われてるんだなぁ

ということを実感できたのも面白かったし、

そんな自由でどうしようもない文例たちを

自分の決めた基準に従ってせっせと整理していく作業も、

終わってみればとても達成感のあるものでした。

 

別に面白いものでもないけど、

そうやって整理してまとめた言語データは

これから先も自分の宝物になると思います。

 

まぁ、もうちょっと、もうちょっとすごい卒論書きたかったなぁとか

もうちょっと出来たんじゃないかなぁとも思いますけども。

 

卒業できなくなるのが怖くて保守的になりすぎたことだけは

ちょっとだけ後悔しています。

 

 

趣味の話では、色々と聴く音楽の幅が広がって楽しい1年でした。

去年がその足掛けができた感じで、今年が階段を1段登った感じ。

 

それなりに選別して選んだ2018年新譜ベストと、

ヘビロテしたアルバム全部入れた旧譜ベスト。

 

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サマソニ大好き芸人みたいになってしまってる節もあるけど。

 

Vinyl Theatreをきっかけに、シンセポップに目覚めた1年でした。

元々そういう音は好きだったんだけど、これがシンセポップ!

と認識して、新しいアーティスト探しにいったり

昔好きだったやつがシンセポップだったことに気づいて

そりゃ好きになるはずだわ~と腑に落ちたり。

 

あとはCoutney Barnettが話題になっていたから聴いてみて、

そこから今まであんまり好きじゃなかった女性ボーカルへの

偏見が払拭されたのも、個人的には嬉しい出来事でした。

 

Alex Laheyは、リリースは去年だけど今年初めて知って、

もしかしたら今年1番聴いたかもしれないアーティスト。

パワーが出るポップという意味では私の中で最強の

パワーポップです。就活の時もずっと聴いてた。

 

the Fratellisの新譜も本当に素晴らしかった。

4thで顔を見せた大人な雰囲気に、これぞフラテリス!な

わちゃわちゃ感が合わさって、とても愉快な音になっていて

最高の1枚でした。大人の遊び心満載というか。

レコードに針をのせて踊りたいテンポ感。

ジャケットからも仄めかされている気がするけど、

なんとなく耽美な魅力もあったりして。

 

大好きなバンドの新しいアルバムが

リリースされるって何よりも嬉しいことだし、

それを体験できただけでも今年は素敵な1年だったなぁ

と思います。

 

 

今年は今までにないくらい沢山音楽を聴いて、

新しくハマったものも沢山あって面白かったです。

 

 

音楽の趣向以外にも初めての諸々がいくつかあって、

まずDJイベントに(そんな行ってるわけでもないけど)

ちょこちょこ遊びに行くようになったのも今年からだなと

振り返って思いました。

未だにちょっと怖いけど新しいのを沢山知れる貴重な機会の一つだし、

あとはDJさんたちの作る音がそこでしか聴けないもの

だということも面白くて好きです。

 

それと出待ちも今年はじめて経験しました。

今までアーティストと会うという概念すら自分の中になかったんですけど

知り合いにつられて待ってみたら本当に出てきた…みたいな。

写真撮ってもらった上にサインまでいただいたみたいな。

おっかなびっくりですね。

 

おっかなびっくりといえば、自分の中では偉人になっている

ロックスターに謁見したり、

もう本当に死ぬほど好きなバンドのライブに早めに行ってみたら

会場前でボーカルとドラムの人が休憩しておられたり…と

おっかなびっくりにもほどがある体験もしました。

 

手がほんとにまるっこい、、、と思ったこととか、

写真で見慣れてたはずの青色の目がとても綺麗だったこととか

この先何があっても一生忘れないし、

ほっそりした手がちょっとだけひんやりしてたこととか、

ふんわり笑ってこちらを見てくれた顔が本当に優しくて

天使みたいだったこととかも一生忘れません。

 

 

たくさんの音楽を聴くようになったと同時に

音楽の聴き方については迷いだした年でもありました。

 

元来頭の容量が乏しいので、いいと思った曲が沢山ありすぎると

覚えてられなくてボロボロ零してしまったりして、

それがすごくもどかしいというのが今の悩みです。

 

それと、こんな音楽が好き!というのがうまく言葉で説明できないのも

長年の悩みではありましたが、近頃はますます深刻化してきました…

色々聴きあさってるけどそれが整理できていないから覚えてられないし、

頭とSpotifyのマイミュージックがとっ散らかっていてもぞもぞする。

 

あとこの曲のこんなところが好き、というのも、もっと一般的な言葉というか、

ジャンルとかサウンドとかで語れたらきちんと伝わるだろうにと思うのですが、

木漏れ日とか冷たい空気とか、そういう空気感でしか伝えられないから

自分にしか伝わってないな、、としょっちゅう虚しくなっています。

 

この原因は完全に音楽の知識不足なのですが、

でもせっかくの大好きな娯楽なのに知識がどうのこうのとか

考えたくないし、左脳使いたくないし、

直観でいいと思ったものをぐんぐん吸収して踊っていられたらそれでいいなぁ

というのが基本スタンスなので、なかなか成長の兆しが見えません。

 

音楽を勉強するという表現も嫌いだし、とりあえず好きなように

気の向くままに、聴きたーいと思ったやつを聴いていくまでなので

まぁいいかなと思いつつ…でももどかしいものはもどかしいし…

 

この調子で多分来年の暮れにも同じこと言ってると思います。

 

 

総合的に今年を振り返ると、

いいことしか具体的に覚えてない性格なのであれですが、

人並みに就活で落ち込んだり卒論で留年について考えたり、

あとはわりとくだらんことで謎に落ち込んだり、

情緒はあんまり安定していない年でした。笑

 

友達はいないけど人のことはわりと好きだし、

誰かとお喋りしたりあわよくば知り合いになれたりしたら

とても嬉しいのですが、

同時に何かしらのコミュニティとか集団は苦手だったりもして

自分はどうしたいんだ、、と思ったり、

その苦手意識が私個人の楽しみにも地味に影響してきたりして

妙な煩わしさを感じたりして、とてもめんどくさかったです。

 

理由もなくモヤモヤするのが一番嫌いなので

憂鬱なときはその理由をせっせと突き詰めるのですが、

そしたら大抵の場合自分のめんどくささを直視する羽目になって

うーわとなったりしました。醜い。醜いぞ。

 

来年はもっとひどいのかもしれないなぁ。

 

学生じゃなくなって忙殺されて音楽聴かなくなることも恐ろしいし、

すぐに人と比較して落ち込む悪い癖があるので

それで闇落ちするかもしれないし、

お金はないだろうし(社会人になったら自由に使えるお金が云々と

言ってくる大人を何よりも憎んでいます)、

ネガティブな妄想しか思い浮かばないのですが…

 

とりあえず、元気に生きていけたらいいなぁと思います。

 

2018年、手放しに楽しい楽しいという感じではなかったかもしれないけど、

今までしたことがなかったこと、知らなかったものに

沢山触れることができて、面白い1年でした。

好きなもの、好きな人のことを好きだ~って言いまくった1年でもありました。

 

来年もアンテナを伸ばして色んな音楽とか映画とか本に触れたいし、

好きなものとか好きな人のことを好きだ~ともっと叫んでいたいし、

自分についても他人についても好きなところを好きでいて、

大事にしていけたらいいなと思います。

 

良いお年を。

 

 

 

 

1回のライブで半年間泣いてた自分の方が愛せる

秋から訪れる最高の海外アーティスト来日ラッシュを

めちゃくちゃ我慢する自分に対しての言い訳です。

 

 

高校生の時に、the pillowsというバンドを初めて知って、

人生で初めてライブに行きました。

それまでライブって、自分とは縁がないものだと思ってて

ピロウズに関してもライブに行く、という発想はなかったんですけど、

Twitterのフォロワーの方々が当たり前のようにツアー申し込んでるから

そういうもんなのかなぁと思って、初めてリアルタイムで買った

シングルに封入されてた先行販売に申し込んだのを覚えています。

 

もう5年くらい前のことですが、今でも1曲目がなんだったのか覚えてるし、

セトリも順番バラバラだけどなんとなく覚えてるし、

自分からステージがどんな風に見えていたかも覚えています。

本当にいるんだ、ってボロボロ泣いて3曲目くらいまでは

ライブどころじゃなかったことも。

 

次の日は学校だったけど、授業中もずっとライブの音が頭で鳴ってて

前日のライブの記憶を思い出しては目が潤んでいたような。

そのたびに、あくびをするふりをしてごまかしていました。

 

日が経つにつれて、もちろん冷静にはなってきて

目が潤むことはなくなってきてたけど、

毎日のように振り返ってはライブ楽しかったなぁって

夢見心地の日々でした。

それが多分、半年くらいは続いてたんじゃないかなと思います。

 

次に行ったライブが、その10か月後、

the pillowsのアニバーサリーライブで、

これも初めてひとりで夜行バスに乗って遠くまで行って、

この日のためにすごく頑張って貯金して…

というのも相まって、すさまじい余韻が半年くらいは

続いてたんじゃないかな。

 

当時高校生だった私のお小遣い1か月分が

ちょうどライブのチケット1回分、という感じで、

ほかに友達と遊んだりすることも考えると、

ライブなんか本当に、半年に1回行けたらいい方でした。

 

単純に頻度が低いからその分自分の中でも貴重だし、

楽しみにする期間も長いからいざライブを観た時の感激度も大きいし、

頑張ってお金貯めて行ってるから必死だし、絶対忘れたくないし、、

と、とにかく1回のライブに対する思い入れがとにかく強かったです。

 

 

それが大学生になって、バイトはじめて、自由に使えるお金が増えて、

当然のようにライブに行く頻度も増えて…

そりゃもう、大好きなライブだから沢山行けるのは純粋に嬉しいし

幸せだし楽しかったけど、あるときふと、ライブの余韻の持続期間、

めちゃくちゃ短くなってない…?と気づきました。

 

次のライブ行ったら上書きされるから、

月2回行くとすれば2週間、もっと日程が詰まってたら

1週間もなかったりして。

いつしか次のライブの有無にかかわらず、

3日ももたないうちに冷静な自分に戻っていたりしていました。

 

あとは幅広く洋楽をかじるようになった影響で

そんなに知らないアーティストのライブも行くようになり。

数曲めちゃくちゃ好きな曲があるから行こう!みたいな、

そして前日にセトリ予習して聴きこんで挑む、みたいな。

 

なんだか自分にとってのライブの価値が下がったなぁという

感じがして、それがどうしようもなく寂しいなぁと

思ったりしています。

 

ライブって最高だし、最高の瞬間が繰り広げられる空間には

そりゃあ行かないといけないと思うので、

一概にライブ減らそう!とはなりません。

言うまでもなくライブの頻度が少ない方がいいとは全然思わないし。

 

半年に1回ライブに行って、余韻に半年間も浸っていた高校生の自分と

少なくとも月に1回はライブに行く大学生の自分、

どちらが楽しいかと聞かれたら間違いなく今の方だけど、

どちらの自分が好きかと聞かれたら、ちょっと迷った後に、

高校生の時の自分かな、なんて思っちゃうな。

 

 

なんて。

 

最初に書いたように、あまりの金欠具合に

とてもとても秋の来日ラッシュについていけないので、

自分を慰めるために必死で考えた言い訳です。

 

「この言語に救われました」

最近どことなく鬱々とした気分が晴れないのは

ずっと洋楽ばかり聴いていたからでは、

と久しぶりにthe pillows(世界一好きな日本のバンド)

を聴きながら乱暴すぎる考えに至りました。

 

あんまり「辛いときにこの歌詞に救われました」

という類の美談が好きではありません。

かといって音楽が自分にとってそんなに軽いものか

といえば決してそういうわけではなくて、

私の場合「音楽を聴く」ことが楽しくて好きだから、

仮に辛いことがあったとしてもその行為によって気が紛れる、

という意味で「救われた」ということが多いです。

 

ピロウズを好きになったばかりの頃

私も「あの時ピロウズのこの歌詞に救われました」的な美談がほしくて、

ちょっと部活が大変だった時期に無理やり歌詞を当てはめることで

「救われた」と思い込もうとしたこともあったけど、

あまりの自分の白々しさに冷めました。

せっかく人生で一番頑張った素敵な思い出なのに

その出来事を振り返るとその馬鹿な記憶も一緒に思い出されるし、

せっかくお気に入りのアルバムに収録されているお気に入りの曲なのに

それを聴くとその馬鹿な記憶を思い出してしまうし、完全に黒歴史です。

 

酔った勢いで無駄話を挟んでしまった。

 

とても雑にまとめると、聴いていて楽しければそれが救いになるので

洋楽であろうと邦楽であろうと自分には関係ないことだし

なんでもいいやと思ってました。

 

それで最近はなんとなく洋楽を聴くことの方が多くて、

それと同時に就活ではお祈りメールが徐々に届きはじめたり、

それを全部学歴のせいにしてみたり、

エントリーシート3回連続で書き損じたり、

全然お金なかったり、でもバイトめんどくさかったり、

晴れてほしい時に限って雨が降ったり、などなど、

全部しょうもないけど地味に確実に精神をつついてくる出来事が

続いてなんとなく気が滅入っていて。

 

常に好きな音楽を聴いて過ごしてはいるのですが、

「音楽聴いて楽しいから元気」なんて単純にはいかんなぁと、

知らない間に終わってたアルバムを、とりあえずもう一度最初から

流したりしながら思ったりしていたのでした。

 

そして先ほどApple Musicで好きな洋楽を聴きながらTwitterを眺めていて、

タイムラインに流れてきたピロウズApple Musicへのリンクを

間違えて押したらそのピロウズの曲がいきなり再生されて、

それを聴いた途端に、その馴染みの良さというか、

自分にぴったりはまってくる感じにちょっとだけびっくりしました。

それははじめてピロウズを聴いたときの感覚と似ていたのですが、

とにかくそれまで素通りしていってしまってた音とは明らかに違っていて、

聴いただけで情景が浮かぶ、意味が分かる、私の思考と同じ言葉で

綴られた歌がまっすぐ私の中に入ってきました。

 

憂鬱が全部払拭されたわけではないけど、

ちょっとだけモヤモヤしてたのが晴れて、

これを「歌詞に救われる」と呼ぶのかなぁと

漠然と思いました。

 

歌詞が今の私の心境を物語っていましたとか、共感しましたとか、

そういうことは全然なかったけど、

耳に入ってくる言葉に対する安心感がすさまじくて

とりあえず今はこの感覚を離したくなくて

「はじめてのthe pillows」なるものを聴いています。

 

いかんせん今ピロウズしか聴いてないので、

「自分の思考言語で歌ってる曲の安心感はすごい」という話なのか

「やっぱりピロウズは私にとって特別でした」という話なのか

どっちかちょっと分からないんですけど。

 

一応書き始めたときは前者の結論のつもりでした。

今まで意識していなかったけど

邦楽を聴くときに耳に入ってくる言葉の意味は、

たとえ今の自分にとって強い意味がなくても

知らず知らずのうちに自分の中に留まっていて、

知らない間に自分の糧になっているのかもしれない。

日本語は私にとって意識しなくても意味が分かる言葉だから

それに気付いていないけど、自覚がなかっただけで

私も歌詞に救われていたのかもしれない。

 

また、もしかしたらその言葉の意味には共感しなくても、

「自分と同じ言葉で語られている」ということで共感を覚えて、

それが安心感に繋がっているのかもしれない。

 

みたいなことを考えていたのですが。

 

後者にしておいた方が

「私もあの時the pillowsに救われました」

って後々言えるような話になりそうだから

今回はそういうことにしておこうかな。

 

伝説すらも幻

今でこそ音楽がないと生きていけないタイプの根暗ですが、

一番好きなアーティストに出会うまでは

本を心の拠り所にするタイプの根暗でした。

 

村山早紀さんという方の『風の丘のルルー』シリーズが小学生の頃から好きで、

文章を書き始めたのも思えばこのシリーズがきっかけだったし、

Twitterのようなものがなかった当時、掲示板というものに初めて投稿したのも

この作家さん自身が運営していた感想サイトでした。

掲示板はダメなもの、という認識が学校から刷り込まれていたので

ちょっとだけ罪悪感を覚えつつ、でも遠くに住んでいる同じ本が好きな

お友達とのやり取りはとても楽しくて、たまに作家さん自身も投稿を

してくださったりしていて、ある日突然その掲示板は消えてしまったのですが

今でも大事な思い出として心に残っています。

 

本の内容としては魔女のルルーが風の丘という辺境の地で、

喋るぬいぐるみのペルタと一緒に暮らしていて、

そこを訪れる病人や怪我人を魔法の薬で治してあげている、

という設定がベースとしてあります。

そこでの出会いとか出来事をきっかけに遠くに出かけて、

時には時空も超えたりして、沢山の冒険をするという感じ。

 

なかなかファンタジーな言葉が並びますが、フワフワして可愛いだけで終わる

お話ではなく、内容としてはなかなかにシビア。

魔女狩りや疫病で家族を失ったことが背景としてあるのもそうだし、

冷酷な人が残酷なことするし。

最近ちゃんと読んでないのでパッとは思い浮かばないんだけど

世界観のわりには現実的なんですよね。

 

あとがきによれば作者さんのヨーロッパに住んでいるお友達が

手紙で教えてくれる、その地に伝わる伝説が基となっているとのことでした。

「白鳥の王国」というところにいた魔女の女の子の伝説をそのお友達が

気に入って、新情報が分かるたびにお知らせしてくれるのだとか。

いつかその国に私も行こう、みたいなことを考えたりもしてました。

 

児童文学なので年齢が上がるにつれて手に取る本の趣向も変わり、

本棚の奥で埃をかぶるようになってしまったのですが

ある日たまたま図書館で『その本の物語』というのを見つけて。

これも村山早紀さんの本なのですが、風の丘シリーズが好きな女の子が、

入院していて意識が戻らない、同じくルルーファンの親友のベッド脇で

このシリーズの本を1冊ずつ朗読するというもの。

その朗読場面に合わせて『風の丘のルルー』の各話も収録されているという

構成になっています。

最後にはルルーの正体も明らかになるという、風の丘シリーズを嗜んだ者

としては涙腺崩壊不可避の激アツな本です(語彙力ないのが一瞬でバレた)。

 

とても懐かしい気持ちで読んだものの、同時に続編はもう出ないんだな、

という言いようのない寂しさを感じたりもしました。

心の中にずっといたルルーが昇華されたような。

風の丘シリーズはこれをもって正式に完結したんだなと。

実質最終巻の7冊目『魔女のルルーと楽園の島』刊行から10年が経った

2014年に書かれた本なので、リアルタイムに読んでいた読者が

ちょうど、またはそろそろ、大人になるかなというタイミングでの刊行。

なんとなくですが、とてもこの作家さんらしいなと思いました。

 

寂しくはありましたがその時感じたのは決してネガティブな感情ではなくて、

楽園の島以降もルルーはルルーらしく生きていたんだなという安心感、

ルルーは立派な魔女になって、私も大人になって、

そんなふうに一緒に大きくなれたこと、

そして成長した後に再会することができたこと、

に対する喜びが大きかったように思います。

小学校の時からずっとまっすぐ伸びてきていた糸がここで切れて、

綺麗な丸い糸玉になったような、そんな感覚を覚えました。

 

同時に、白鳥王国、魔女の伝説を調べたんですが出てこなくて。

他にも各物語のモチーフになっていた王国とか、竜とか、

色々検索してみたけど本当に何ひとつとしてヒットしない。

  

白鳥王国にいた魔女の子の伝説って本当にあるのかなぁ

とぼんやり考えていたのですが、多分、ないんだろうなと思いました。

あとがきってフィクションの世界を離れて、現実の世界で書かれる文章、

という認識だったのですが、というか実際そうであるはずなのですが、

風の丘シリーズに関してはおそらく、そこすらもフィクションだったのでしょう。

 

赤毛の魔女の子ルルーが住んでいる架空の、昔の世界だけではなくて

今も存在している遠くのヨーロッパの国にも思いを馳せるところまでが

この物語を楽しむセットだったのかもしれない、と10年越しに思いました。

これも、とてもなんとなくだけど村山早紀さんらしいなと。

 

今でこそ洋楽を好んだり旅行が好きだったりで海外のことにも興味津々ですが、

小学生の時は特にそんなことなくて。

むしろ本さえあればいい、みたいな超インドアなタイプでした。

 

そんな中でも、ルルーの面影を探しにヨーロッパに行きたいなぁと

少しでも海外のことを考える機会があったのは、

あのあとがきがあったからだろうなと思います。

 

きっと『風の丘シリーズ』は知らない間に自分の意識の中にある

世界を広げてくれていたんだな、と思うのです。

 

もちろんフィクション上に広がる世界も自分の世界を広げてくれるけど、

実際生きているのはこの現実の世界。

いくら空想の世界をひろげていったとしても、

やっぱりこれだけでは、現実の人生を完全に彩ることはできない。

 

だからフィクション上に存在する風の丘だけではなくて、

現実に存在するヨーロッパの国にも意識を向けられるように、

あとがきにも細工を加えていてくださったのかな、と思うわけです。

 

私が勝手に思っていることなので実際の村山早紀さんの意図は知りません。

あと白鳥王国についても私が検索下手なだけかもしれない。。

本当にあるのならそれほど嬉しいことはないですね。

 

 

と考えたことを書き残すための文章でした。

多分ここまで読んでる人いないし完全に自己満足です。

そのため誰に向けて書いたものでもありませんが、

もしも、ある日突然風の丘に住んでいる女の子を思い出して

久しぶりに書名で検索するなどということをした私みたいな人、

もしかしたら昔のお友達、の目に留まるようなことがあれば

すごくドキドキするし、すごく嬉しい。